自分の「好き」を見つけられない。
自分のことなのに最初は思い浮かばないことが多いです。
どうやって見つけたら良いか。
今日はそんなお話しです。
自分の「好き」はニコッと出来る事
自分の「好き」を見つける という事を大事に捉え過ぎてはいないでしょうか。
- 私には趣味がない
- 何にも興味が沸かない
- すべてが面倒くさい
このような状態は心の奥底にあるブロックがあることが原因ですが(また別途お話しします)、その前に『見つける』という作業をする事に、大きな意味を持ちすぎて、重くかんがえてしまっていないでしょうか。
「好き」を見つけたからといって、一生「好きな事です」と言い続ける必要はありません。
今この瞬間ワクワクとしたらそれでいいのです。
例えば。
もしあなたがチョコレートが好きだとして、有名なショコラティエが作ったチョコレート専門店が銀座にオープンする、というニュースをTVで見たとします。
その時『あ!行ってみたいな』と思って心がワクワクっとしたのなら、それがあなたの「好き」になります。
ワクワクという言葉で表現すると、少しピンと来ないようでしたら、自分がニコっと出来る事 と認識してみてください。
チョコレートが好きでない人は、このニュースを見ても何とも思いません。
でもチョコレートが好きなあなたは、このニュースを見て「行ってみたい!」と心が沸いたのですから、それを見過ごさないであげる。
こういうことが、自分の「好き」に繋がります。
はじめはこの程度でいいのです。
そして大切なのは、この時「行ってみたいな」と思ったのなら、実際に行ってみてください。
遠くて面倒 とか、 高そう とか、そういう後付けの意識は不要です。
この後付けの意識で自分の心をかき消すことを今までしてきたから、今あなたは自分の「好き」を見つけられていないのです。
「行ってみたい」と思ったのなら、チャレンジしてあげる。
私が「家を出たい」と思ったから家出をして、小さなしあわせを見つけたのと同じく、まずは心に従って行動してみてください。
どうしても行く事がムリなのでしたら、今はオンラインで受け取ることが可能な場合も多いです。
せめて購入して食べてみて「行ってみた気分」を味わってみてください。
こんな些細な事でいいのです。
一歩一歩、こういう 小さなしあわせ を積み重ねていくことが、あなたの意識を変えていきます。
自分の「好き」は幼少期の「好き」であることが多い
自分の「好き」を見つけるヒントとなるのは、意外と自分の子供の頃に遡ると見つかる場合が多いです。
忘れていたけど、そういえば●●が好きだった
大人と違って、純粋無垢な子供時代に興味を持った事は、あなたの本音であることが多いです。
例えば。
小さな頃、お人形で遊ぶ事が好きでお人形のお洋服をデザインするのが好きだった
こういう記憶があるのなら、あなたは「デザインする」ということに興味があるのかもしれません。
でも成長と共に純粋でない知識を植え付けてしまったから、今は好きだと思っていない事があります。
「散らかるから止めて」
「絵が下手ね」
「絵ばっかり描かないで外で遊びなさい」
「センスないわね」
「そんな事で食べていけるのは才能ある人だけよ」
大抵は身近にいる親や親戚の声である事が多いですが、こういう声が蓄積され、純粋無垢な子供時代のあなたの「好き」がかき消されてしまった事は多いにあることです。
だから子供時代の「好き」の記憶を掘り起こしてみると、そこにはあなた自身が本当にワクワクできる「好き」が眠っているかもしれません。
自分の「好き」は嫉妬心として現れる事もある
自分の「好き」を見つけられなくても、人への嫉妬心がやけに強い・・・という事があるならば、それもあなたの「好き」である事が多いです。
自分の興味がない事をやっている人をみて、嫉妬しますか?
世界で1位を決めるオリンピック。
あの金メダルアスリート達を見て「悔しい」「羨ましい」と思う人は、同じ志を一度でも持った事があるからではないでしょうか。
運動嫌いな私は、「スゴイな」とは思うし感動もするけど、そこに嫉妬心はありません。
例えば。
先程例にしたように、子供時代にデザインが興味あった人がそれを忘れていたとします。
その時近くにいた友人が、デザインとは全く関係ない人生を歩んでいたはずなのに、急にオリジナルデザインで洋服を売り始めたら、どう思うでしょうか。
普通ならビックリしたとして「おめでとう!」と心から祝福してあげられるはずですが、昔自分もやりたかったと思っていた人なら「おめでとう」の言葉の裏に、ざわざわした胸騒ぎが起こって「ズルい」と憎しみすら思うかもしれません。
自分の本音を無視した自分が悪いのに、自分が成し遂げられなかった事を他人がするから素直に喜べないのです。
そういう嫉妬心 があるなら、自分の本音はワクワクするジャンルなのですから、嫉妬するだけじゃなくやってみましょう・・・それが自分の「好き」のキッカケになります。
自分の「好き」がズレててもいい
こういうチャレンジは、チャレンジしてみることが大切なのであって、やってみて「好きじゃなかったかも」と思うのなら、それ以上やらなくていいのです。
「一度始めてしまったから続けなければいけない」
・・・なんて、誰が決めましたか?
法律でないのなら、そのルールですら自分で決めてしまっているのです。
すべては自分の人生。
自分で決めればいいのです。
他人が何て言おうと、やりたければやってみる。やりたくなかったのなら止める。
こういう「好き・嫌い」が見分けられるのは、チャレンジした人でないと気づけない事です。
そこに気づけた事に良好の意味を持ってください。
自分の「好き」に繋がる自己対話
自分の「好き」を見極める判断力は、チャレンジの上での自己探求です。
実際やってみたけどどう思ったのか。
チャレンジしてみた事で生まれた、新たな考えや意識を放置するのではなく、そこから
自分はどうしたい? 何が一番最高?
自分の本音を探してください。
心の本音を自分で聞き出してあげる・・・それが自己対話です。
小さなしあわせ を見つけることは、自分を心地良い状態にしてあげることです。
楽しい・嬉しい・気持ちがいい
こういう自分の本当の気持ちを見捨てないであげることです。
これまで家族第一優先で自分第一優先にしてこなかったのなら、ずっと自分の本音は置き去りにしてきてしまったはずです。
だから自分の「好き」もわからなくなってしまったし、自分の本音を聞き出してあげる自己対話すらしてこなかったでしょう。
自分が自分を労わらず、誰が自分を労わってくれるのですか?
自分が自分を労わってあげていない人は、他人から労わられませんから、誰もあなたの事を労わってくれませんよ。
本当は、これまでもチャレンジするチャンスや閃きは来ていたはずです。
あなたをサポートする存在(目には見えませんが)が
『おーい、そっちじゃないぞ。こっちだぞ』
と教えてくれていたはずです。
でもその信号すらも自分で見捨てて(気づかずに)自分よりも他人に目を向けてきたはずです。
もう十分人のためにやってきましたよね。
このブログに出会った今、そこに気づけたのですから、これからは自分の本音を置き去りにしないであげてくださいね。
些細な事でいいのです。
気になるヒントが来たのなら、そのヒントはあなたをサポートしてくれているハイヤーセルフ(守護霊と思ってくださるとOKです)からの信号だと思って受け止めてみてください。
始まりは、小さな事だったりしますからね。
見逃さないように。
そのためにイマココな生活と、リラックスが大切です。