変わろうとする自分に声をかけてくるのは エゴキンマン の仕業ですと前回お話ししました。
エゴキンマンの仕業はほかにもあります。
「どうせ私なんて・・・」
「私になんかできない」
「私はダメな人間だ」
こういう自己否定の声の正体もエゴキンマンです。
自己否定は小さなしあわせの邪魔
小さなしあわせ を見つけるには、どんな状況であっても自己否定を止める事です。
これまで、ちょっと“やってみたいな”と思った事に対して
「できるわけない」
「何歳だよ」
「そんなのやってもムダだよ」
という声が聞こえた事ありませんか?
“声” と言ってもその声は自分の声ですので、邪魔する声だとは感じません。
むしろ、冷静な自分の判断 に感じるかもしれません。
小さなしあわせは、囁くような「これやってみたい」という自分の心の声を拾って見つけるものです。
せっかく沸いてきた自分の「これやってみたい」という心の声を、あなたのエゴキンマンが自己否定してきて消してしまったら、あなたの小さなしあわせ は見つける事ができません。
「やってみたい」と思う事なら、どんな事でもやってみる。
それでこそ、小さなしあわせ が見つかります。
そこを否定するのは誰であっても(自分であっても)邪魔でしかありません。
自己否定の根源は・・・
エゴキンマン(自己否定)の根源は、自分が育ってきた過程の中で根付いたものです。
親や兄弟、親族、友人、学校の先生など・・・・自分の身近にいる人の声が蓄積されて育ったものです。
「あなたに出来るわけないわよ」
「そんなのムダ、ムダ」
こんな風に言われた事ありませんか?
言った側は悪気がなくても、否定的な言葉や抑制的な言葉を言われた数だけ積み重なり、あなたの無意識な領域に定着してしまいます。
誰に言われた言葉か覚えていないくらい記憶の奥底にしまわれているのに、ふとした状況で無意識に「私に出来るわけない」と否定してしまう・・・。
誰かと自分を比較(ジャッジ)してしまう・・・これらもすべて、誰かの言葉で蓄積された無意識な記憶です。
いつでも気持ちに実直に行動が取れれば良いのですが、自己否定の声が大きすぎて動けなくなることがあると思います。
せっかく小さなしあわせの一歩を見つけそうになったのに、「やっぱり止めよう」と止めてしまう・・・。
ありがちですよね。
自己否定を沈めるにはイマココが大切
変わりたいと思っているのに行動に起こせないままでは、変わる事が出来ません。
エゴキンマンを沈めて、自己否定を止めなければなりません。
エゴキンマンは頭の中に住み着いているので、あなたの頭の中がいっぱいいっぱいですと、エゴキンマンが暴れまくります。
悩み事が長い間続いたり、いつも心配事をしていたり、誰かの事を妬んだり、ずっと頭で考えてますよね。
あなたが頭を使えば使う程、エゴキンマンが大暴れするので、あなたの頭は休まるヒマがありません。
これが毎日続いていたら・・・・・・・・。
小さなしあわせ など見つけられるはずもありません。
そのためには、イマココ に集中して頭を休める必要があります。
ムダな事を考えないという時間を作ることが大切です。
過去の出来事に意識を向けてしまい「あの時ああだったから、やっぱり止めよう」と中止させる声もエゴキンマン。
未来に意識を向けて心配をし続けるのもエゴキンマン。
小さなしあわせ を見つける事に過去も未来も関係ありません。
これを消すには、意図的に“イマココ”に集中することが必要です。
イマココには 瞑想や深呼吸 、ボーーっとリラックスする事がとても効果的です。
過去にも未来にも、今ある問題にも意識を向けない。
ただ呼吸にだけ意識を向けて “イマココ” に集中。
エゴキンマンが強い人は、ぜひやってみてください
瞑想の誤解
「瞑想」と聞くと、身構えてしまうことありませんか?
- 姿勢はどうしたら良いの?
- 呼吸は?
- 音楽は必要なの?
- 雑念が消えない・・・
など。
でもね、難しく考えなくて大丈夫です。
あなたがラクな状態で行ってOKです。
座る姿勢でもOKですし、寝ていてもOK。
音楽はあってもなくてもOKですし、途中で寝てしまってもOKです。
「無」になり切れなくてもOKです。
大切なのは「●●でなければいけない」という固定概念を捨てること。
ちなみに、YouTubeなどであがっている、インストラクターの声に合わせて行う瞑想は誘導瞑想と呼ぶモノです。
誘導に身を任せた方がラクであるならそれもOK。
何か作業をしながら無になるまで集中することを行動瞑想と呼びます。
キャンドルの炎を見てボーーっとするのもいいですね。
イマココの呼吸に意識を向けて集中できたら、何でもいいのです。
そのくらい気楽な気持ちでやってみてくださいね。
どうぞ、参考になさってください。